教えるということ|言語化

人に何かを教えるには、言語化する力が必要です。

「名選手、名監督にあらず」という言葉があります。
スポーツ・勉強・音楽etc 字に関しても同じです。

どんなに美しい字を書く先生でも、教える力は別です。
指導力は、そのロジック(論理)を理解していて、それを言語化する力が必要です。
そして言葉も一つではなく、それぞれに合わせた言い方や表現の引き出しが必要です。

才能といいますか、感性といいますか、ロジックを理解せずにその事ができてしまう人も居ます。
プレイヤーとしては素晴らしいです。
ですが、「できない人が理解できない」「言葉で説明することが苦手」だったりするケースがあります。

教えたい内容は同じでも、伝わらなければ指導者としての力は不足しています。
様々なモノや事が発達し、情報が溢れ、タイパが求められる今日で、もはや「見て覚える」「身体で覚える」という世界は一部でしかありません。
勿論、教えてもらう方の意識や努力も必要です。
ですが、「できない自分に問題がある」「努力が足りない」と思い過ぎないで下さい。

費用を支払って教えてもらうのであれば、身に付かなければ意味がありません。
教える側もその意識は大切です。

現代はyoutubeやオンラインなど、色々な場所で学んだり、情報を得ることができます。
身に付かないと感じたら、その指導者とは”合わない”と思って、違う指導者から指導を受けてみてください。そして自分に合った学習方法を見つけて下さい。
数学の公式のようなものがないか探してみてください。

以前、子どもが「算数でわからないところがある」と言っていたのでyoutubeで一緒に学習動画を見ました。とても分かりやすく、子どももすぐに理解し、得意な単元となりました。
授業参観へ行き、納得。全然わからない。
教えたいことは大人目線ではわかりますが、こんなにも違うのかと驚きました。

言語化する力は社会でも、とても大切だと思っています。
何かをされたり、言われたりして、「絶対に違う」と思っても、言葉で伝えられなければ相手が正しいということに落とし込まれてしまいます。
私はこれを企業に勤めているときに沢山経験しました。

また、何かを学ぶにあたって「質問力」も大切です。
名監督と言われる人は、実際そうそういるわけではないので、自分が「何がわからないのか」「どうしてわからないのか」を見つけ出し、言語化できたら、これに越したことはありません。
その質問に納得する答えを返してもらえなかった場合は、一考の余地ありです。

これからの社会で、言語化能力はより重要になっていくと思います。
ネット社会は、ロジックの世界でもあります。
ダイバーシティ(多様性)はロジックではありません。
ダイバーシティの時代とロジックの世界の両方を身に付けたいものです。

話が反れました。
と、まあ頭でっかちな事を考えてはいますが、現実はそれぞれの意識や感情の面もあるので、という柔軟さも残してます。