人に何かを教えるには、言語化する力が必要です。
「名選手、名監督にあらず」という言葉があります。
これはスポーツの世界だけでなく、勉強や音楽、そして字の世界でも同じだと感じています。
どんなに美しい字を書く人であっても、教える力とは別のものです。
自分が「できる」ことと、相手に「できるようになってもらう」ことの間には、大きな隔たりがあります。
指導に必要なのは、感覚や経験だけではありません。
なぜそうなるのか、どこでつまずくのか、どうすれば改善するのか。
その背景にあるロジック(論理)を理解し、それを言葉にして伝えられる力が必要です。
才能や感性によって、理屈を意識せずとも自然にできてしまう人もいます。
プレイヤーとしては、とても素晴らしい存在です。
しかしその一方で、「できない人の感覚がわからない」「言葉で説明することが苦手」という場合も少なくありません。
教えたい内容がどれほど正しくても、伝わらなければ意味がありません。
指導とは、「伝えたかどうか」ではなく、「伝わったかどうか」。
ここに、教える側の責任があります。
また、同じ内容であっても、相手によって伝え方を変える必要があります。
一つの説明で全員に伝わることは、ほとんどありません。
言葉を言い換える、例えを変える、視点を変える。
その引き出しの数こそが、指導の深さだと思っています。
教えるとは、わかる人の世界に、わからない人を連れていくこと。
そのために必要なのが、言語化する力です。
私は、字を教える立場として、「上手に書けること」よりも「なぜそうなるのかを説明できること」
を大切にしてきました。
教える力は、技術ではなく姿勢。
相手に届く言葉を探し続けることそのものが、指導なのだと思います。
